北の大地とそれから私

流罪になりました。

学科ビリの英弱が2週間でTOEICを200点上げて大学院の出願資格を得た話

4月末

冬場何となく進めた勉強をもとに、どうとでもなるだろうと初のTOEICを受ける。この時点でやっていたことは単語帳400単語と新書サイズの文法書7割程度。なぜこいつはこれで何とかなると思っていたのかは理解できない。

 

5月中旬

4月分の結果が出る。Reading 270点、Listening 230点。計500点。はぁ?

我が母校の院試では今年度から600点を割る人間は問答無用で足切りをされることになっていた。なんだかんだで大学院に進むと思っていたため、就活なんてものも碌にしていない。つまるところ私はこのままでは進路不詳のニートになるのか。

詳しい配分を見たところ、Listeningは下位7%らしい。確かに何を言っていたのか分からないがここまで酷かったとは。乾いた笑いだけが出る。

 

数日後、学科の友人と飲む。深刻そうに心配される。いやいや言うて何とかなるって、なんとか、なる。え、何とかなるの?

この時点で、次回のTOEICまで2週間前後。もちろん4月分が終わってからは勉強などしていない。重い腰を上げ、「言語での差別はヘイトスピーチだ!!SDGsはどうしたクソ大学!!!」と泣きわめきながら学習を進める。

この時点で基礎から学習しなおす時間はないので、Listeningはひたすらスクリプトを読んで聞き取れるまで聞き返し、Readingは傾向と対策の小手先だけで乗り切ることにした。

5月末

TOEIC2回目、やれるだけのことはやって臨むも手応え薄し。嫌気がさして会場近くで開かれていたライラック祭りですぐに酒を飲む。いかんせんカップルにまみれていて、自棄酒をしている人間など私一人である。ケバブソースを服にこぼしさらに嫌な気分になって祭り会場を後にした。もうめちゃくちゃにイライラしてパチ屋に行き、目に見えた通り5000円を擦る。もうやってられるか。

 

6月中旬

5月分の結果が出る日、旭川のさらに北の山中にて沢を登っていた。電波など入るわけもなく、確認したのは夕方ごろになる。
何か知らんけど695点も取れてた。え?よくわからん。とりあえず隣で車を運転していた担当教官に何とかなった旨を伝えると道の駅でコーラを買ってくれた。

宿舎に戻って、「腰が痛いから今日はパスで」とサボタージュかましていた教授に伝えたらやたら機嫌が良かったのか寿司を奢ってくれるという。100円寿司なんて食う人ではないのでいい寿司を食えるのだろう。何だろう、院試受かったわけではないのにこの祝われ様は。

その後吸った煙草はメタクソに美味かった。逆境を抜けた後に吸う煙草は格別に美味い。だから低所得者は煙草をやめられないんだろうし、生きようから考えるに私自身もやめられないんだろうな。

 

かくして、私は院試を受けられるようになった。まだ院試は終わっていないし、文字道理スタートラインに立ったばかりなのだが、まぁ院試自体はどうとでもなるんだろう。競争相手、いないっぽいし。

北海道から出たい出たいと散々言っていたのに(不可抗力とは言えど)まだ2年は残ることになりそうだ。クソ寒い冬に文句を垂れながら年を越えていくだろうが、それでもまぁ、良かったと心から思う。