『私は陰キャだ』
同窓会に行ってきた感想を簡潔にまとめる。
まず喫煙者なんていない。
一人店外に出て何度も煙草を吹かした。育ちのいいブルジョワ共め。もっと青くあれよ。
しかしながらこのことには、あとあとタバコは席を立つ言い訳になるようで安堵することになる。この空間で信用できるのは、キャスター3mgとハイライトメンソ、お前らだけだ。ありがとう。
次に、永遠と今何をしているのかという話だった。他人の「進退がいい感じ!」なんて話聞きたくないが、5年ぶりに会う名前も怪しい人間との話題なんてこれくらいしかない。「社会人はみんないい時計をしているんだなぁ〜」なんて視線を落としながら適当に相槌を打つ。案外、進退の話でそこまで不快感を覚えなかった。多分、赤の他人と割り切れていたからだと思う。
かくいう私にプライドなんてないので、「インターン全落ち修士、毎日空を見上げて煙を吐き、退屈だとつぶやく牧野富太郎」だと答えていた。多分この字面より最低な身分なのは、ほとんどいなかったんだろう。「みんなまともなんだなぁ〜」なんて道化を演じるが、そうなりたいだなんて全く思わない。
後は札幌は涼しいのかなんて話をしていた。涼しいし、人はいないし、いいところだよ、なんて本心から答えた。
二次会も半ばに、在学中苦手だと感じていた人が「もう話題ないな」なんて言っていて好感度が上がる。端的にこれだ。5年も会っておらず所属も違う、そんな人間同士卓を囲って会話を続けていくことに無理がある。特に仲の良かった数人が会話を成立させる限界だと思う。
なんとか会話の糸口を見つけ、共通項を見つけ、ときには懐かしむポーズをする。すぐにフケようとは思うほどしんどくないが、特段面白いとも思えない会話を永遠と続いた。
最後に、酒と場に酔えない陰キャはあんなところに行くべきではない。
酔いも回って出来上がった人たちは、わちゃわちゃと席を移動して大声で会話をしていたが、そんな人達を眺めて一人興ざめしていた。「私は陰キャだ」なんて絶叫が頭の中に響く。
ニコチンで大脳が萎縮していて、自身への身なりを卑下するような余剰がなくてよかった。とはいえ、興ざめした酒の席なんて退屈そのものであって、幾度となくトイレと煙草に席を立った。さり際に仲の良かった人たちが騒いでいるのが目に入る。頭の中でこだまする叫び声と、まぁいいかなんて諦めとも言える自己肯定がぶつかって相殺していった。煙草はいつだって美味い。
忘れないうちに書くべきな気がして、ごちゃごちゃと書いた。何か追加すべきことがあれば再度書く。
見返すと負け惜しみと自己否定のような文章だけど、そういう感情はほとんどなくてただ私が最悪な人間ってだけである。最悪でいいと思う。ただ真っ当な人生を送って来た陽キャや、人格者や、ブルジョワジーと合わなかっただけなんだから。だから、もう行かねぇけど。
とはいえ、できればこの内容があの場にいた人間に見られることもなく、また悟られてもいなければいいなと感じる。他人を慮るなんて、丸くなったなぁ?