大学にて眠る
ここ最近毎日大学に泊まっている。
字面だけ見ると修論間際の院生じみてるけど、遊んでるだけ。
友達と酒を飲んでスマブラをしてそのまま寝たり、1人で過ごして帰るのが面倒くさくなって帰らなかったり、だいたいそんな感じ。
引っ越してからまだ1度も新居で寝てないから笑えてくる。
コロナが収束しつつあるようで、サークルやらなんやらがまた動き出してるらしい。ほぼ幽霊と化してる僕には関係ないけど、またつまらん大学生が量産されていくのかと思うと面白くない。
コロナで各々が好きにやって、おもろい人がおもろく生きてる方が良かった。おもろ人間もつまらん人間も普通の大学生のごとく振舞ってくっっっそつまらなくなるばかりだからサークルってのはタチが悪い。コロナよ、永遠となれ。
だから僕は抗不安薬をキメた
名前順で座ると教室の右端、前から2番目の席だった。前には大抵「あ」から始まる名前の人が1人居た。小学1年生の時も1人、席が近いので何はないとも話して仲良くなった。以降、中学を出るまでクラスが離れて疎遠になったり、塾からの帰り道にグダグダと話しながら帰ったりとなんだかんだで仲良くやっていた。そんな彼の訃報を聞いたのは帰省してすぐだった。
大学でも体育会でスポーツを続けれているような、僕とは正反対に屈強な人だったからこんな話を聞くとは思えなかった。ただただ驚いた。その時はそれだけだった。どっちが先に死ぬかなんて事は考えたこともなかったけれど、当たり前のように僕が生きている間は会おうたすれば会えるものだと思っていた。まだ同年代の人間が消えていく経験が浅いからそう思ってただけかもしれない、別に今はどっちでもいいか。
彼の家に面会に伺うまでは大して実感も沸かなかった。中学卒業以降、駅や道ですれ違うことはあれどきちんと会って話した覚えはないし、昔は仲が良かったけど今は何をしているのかも分からない疎遠になった友達と大差はないのかもな、なんて不謹慎に思っていた。
やつれて横たわった彼に面会した時は、確かにこの人は死んだんだな、と思った。血縁の人間で何度か見た死化粧はやっぱり好かなかった。血の気が引いて土気色になった肌が昔前の席に座っていた人間のものとは思えなかった。彼の親いわく持病だったらしい。偶に相槌を打ちつつも彼の母親から話を聞くばかりだった。息子と仲良くしてくれてありがとうだなんてステレオタイプながらも本心だろう感謝の言葉すら貰った。僕が人としての経験が浅い若造ばかりに彼の両親に気の利いた言葉をかけられなかったことも、そして同じくらい彼も若かったことも非常に残念だった。
帰ってから煙草を吸いつつ一日ぼーっと過ごした。凪いだ海で釣りがしたかった。口の中はずっと酸味と苦味が混ざった胃酸の味がした。勝手に出てくるメシは大して美味く感じなかった。嫌気がさしてデパスを飲んだ。そこからは、起きてはいたけどあまり記憶にない。薬が切れてきてから思ったことをまとめておいてもいいかもしれないと、この記事を書き始めた。また胃酸の味がする。持病はキツイよな。もう一錠デパスを飲んで、早いところ寝てしまおう。
追記
シンエヴァ見てきたよ。信じられないかもしれないけど、マリがメインヒロインだったんだぜ?なぁ、僕の言う通りだっただろ?
帰国前夜
風呂上がりに体重測ったら52kg台だった、ウケる
ゆく年
2020年ももうすぐ終わりらしい。歳を食えば食うほど時間が過ぎるのは早いなんて言うけれど20代頭でこの速さは不安になる。この加速度だと気がついたら死んでるんじゃないだろうか。
2020年はかなり変則的な一年だった。一年の半分くらいは東京にいた気がする。せっかくなので記録も兼ねて今年一年を時系列順に振り返ってみようと思う。
1月
カウントダウンジャパンででんぱ組のライブを眺めながら新年を迎える。同行者、僕含め年越しの枠で知っているアーティストがいなかったからという訳で何となく興味もないのに眺めていた。人込みの中で迎える新年は2020年の始まりとしてはずいぶんと皮肉が効いていたな、と思う。
三が日を東京で過ごし再度札幌に島流しになった僕はその週末にはまた羽田行きの飛行機に乗っていた。成人式である。このイベントは地元から離れた学校に通う学生に対しての配慮が非常に薄く、冬休みが明けて久しぶりの学校に体が慣れてきたかなと思った矢先地元に帰り同窓会成人式同窓会という鬼のようなスケジュールと酒にもまれ、週が明ければ始発で学校へ戻り授業を受ける、というすさまじい週末である。帰りの飛行機のための横浜線でキャリーバッグ片手に二日酔いで吐きそうになったのは今でも覚えている。
大学選びを間違えたんじゃないかと感じ始めたのもこの頃だった。
2月
年度最後の試験を受け、春休みを迎える。札幌では降雪と寒さのピークを迎え”春”とは?って感じだった。
特記することといえばせいぜい元カノと仙台に行ったことくらいだと思う。あの人は貸していたゆるキャンを早く返してほしい。
3月
東京に帰る。4月には札幌に戻るつもりだったので結構な勢いで遊んでいた気がする。東京で迎える春が好きだなとしみじみと感じた。割といろいろあったような気がするが年度の合間特有の浮足立った感覚以外いまいち思い出せない。
4月
東京に残る。いろいろあって大学の始まりが後ろ倒しになったので飛行機をキャンセルして残留することにした。桜をみた。百日後に死ぬワニが死んだのもこのくらいの時期だったか。持て余した時間とイレギュラーな状態に対応しきれず、友達の犬の散歩についていくのが日々の楽しみだった。
5月
札幌に戻り、三日で東京にとんぼ返りした。郵便物やら諸々の書類やらを処理してバイクで帰った。小樽~新潟航路のフェリーに飛び乗り新潟からはひたすら下道を走った。半年ぶりのバイクでありそもそもに長距離を走ったことがあまりなかったので果てしなく疲れたのを覚えている。新潟は景色は良かった。夏と雪の時期にも訪れてみたい。所沢で食べた幸楽苑がとにかくおいしかった。
同じような時期から友達に連れられて釣りによく行くようになった。暇を持て余していたのと、存外にはまり込んでしまったのでここから7月の頭にかけて毎週のように港街へと出かけていた気がする。当初から狙っていたアジはいまだに釣れない。
6月
この月は非常に印象に薄い。授業終わりに鎌倉までバイクで行ったのはこの月だったか。釣りは間違いなくしていた。
7月
ひたすらに雨が降る。いつまでたっても梅雨が明けず雨の中釣りやバイクに乗るようになった。今年の梅雨はやたらめったら長いような気がしたけど、季節の移り変わりをきちんと意識したことがなかったのでよくわからない。
自動車学校から期限がやばいとの連絡を受けしぶしぶ札幌に帰るタイミングをうかがい始める。
8月
頭に札幌へと変える。もちろんバイクで。日の出前に実家を出てまずは仙台港まで向かった。福島からはフェリーの時間との都合東北道を利用して北上した。東北道を走りだいしてすぐ豪雨に遭い、寒いわ辛いわと呪詛を吐きながら走っていた。仙台についてからフェリー乗り場までもひたすら雨、乗船手続きを済ませた後ここで待っていてくださーいと通されたバイクの待機列も吹き曝しで雨、しんどかった。翌日は苫小牧港から札幌まで帰った。走っていた時はしんどかったのに今思い返すと美化されて楽しかった気がするからバイクというものは末恐ろしい。
それからは一人暮らしの感覚を取り戻しながらバイクに乗ってふらふらとしていた。八月だというのにいまだに出ているこたつを片付け、扇風機を引っ張り出したりした。函館やら富良野やらに行った気がする。蝉の鳴かない札幌の夏はやはり嫌いだった。
9月
日本の最北にてバイクを壊す。
レッカーで旭川のバイク屋まで運んでもらい単身宗谷本線で札幌まで帰った。普段じゃ乗らない特急も保険のおかげで乗れたのであながち悪くなかった。
この月ははバイクが修理されるまで時間がかかったのもあってあまり何もしていない気がする。
10月
後期授業が再開する。概ねほとんどの授業を対面で行うクソ弊学部のおかげで週4で大学に行くことになる。周りで交友関係がすでに出来上がっているなか一人で過ごしていた。前期の間にぼちぼちあった対面授業を東京にいるのを建前に出ていなかったことが仇がとなった。喫煙所に足しげく通うようになった。
11月
なんだかんだありつつ友達はできた。学科ごとに与えられる学生部屋にほかの人たちがこないのをいいことに寝泊まりやらプロジェクターでアニメを見るやら好き勝手やっていた。札幌も悪くないなと思った。
12月
一年が終わる。大学も冬休み明け少しの授業と試験を受けて春休みなので実質年度末のような感覚だった。専攻を決めなければいけない時期が近づき毎晩吐きそうな気分だった。ブルーピリオドを読んでさらにしんどくなった。どうすりゃいいんだろうな。
12月が始まったと思えば気が付けばクリスマス、年末と過ぎていく。クリスマスには浮いた話など無く、バイトをして炊飯器三日目の黄色い米にレトルトカレーをかけて喰らった。そもにクリスマスを意識して過ごしていたわけでもなく淡々と過ごしていたので純粋にコメがまずくてしんどかった。年の瀬、実家へと帰ってきた。実家の部屋のほうが札幌宅よりも寒いのはやはり笑えた。家の中でも寒いということを加味すると東京の冬のほうが厳しいような気もする。
思い返しながら文章に書き起こすといろいろあった。それでも体感としてはとても短かった。今年は多くの人の生活環境が変わり苦労している人は多いが、僕としては受けた恩恵のほうが多かったと思う。体調不良が精神論でゴリ押されることなく丁重に扱われるようになったし、春から夏にかけて暇な日常を東京で過ごすのはとても楽しかった。来年もこっちで過ごしたいけど、さすがにそれは無理か。
ずいぶんと長い記事になってしまったのでそろそろ締めたい。個人的にはいい一年だったと思う。楽しかったから一瞬のように感じたのかもしれない。来年も再来年も駆け抜けるように過ごしていければな、と思う。